近い。
広尾駅の出口を出てから、文字通りあっという間だ。
駅の地上出口をろくに調べず、ちょっと離れた反対側の出口から出て外苑西通りをまたいでもこの距離なのだから、最寄りの出口から出ていたら「散歩」などとつけられない距離に広尾湯さんはあった。
掲げられた木の看板と全く同じ書体だろうか。屋号が染め抜かれた暖簾の力強い書体が愛でポイントだ。
緩やかなアーチを描く高い天井の下に広がるのは雄大なモザイクタイル絵が描かれた浴室。
手入れの行き届いた明るくゆったりした空間で、温度も肌あたりもやさしいお湯に浸かり、屋号入りオリジナル桶を使ってカランから取った水を浴びて蕩けた🤤
至福の時間をご馳走様でした🙏
広尾駅からあまりに近く、歩き足りないので帰りは白金高輪駅まで足を延ばすことにする。
少し離れた場所から見る都営広尾五丁目アパート。外苑西通りを通るたびに何度も見ているが、その整然さはいつ見ても何度見ても素敵だ。
天現寺橋交差点、歩道橋のたもとに井戸があった。
この子が現役バリバリで使われていた頃、この辺りはどんな景色だったのだろうか。
交差点を渡ったところにある「渋谷川・古川 清流の復活」の碑
川の名前が二つ書かれているのは、渋谷区内は渋谷川、港区に入ると古川と名前が変わるからとのこと。
この日は白金高輪駅に向かっているので、港区側、古川に沿って歩いてみる。
天現寺橋のたもとに建つ三角ビル、丸い窓が個人的愛でポイント。
最初に出会った橋は「狸橋」
なんとも可愛らしいネーミング。
狸橋から天現寺橋方面を望むと店舗?が行っているライトアップが妖しさを醸し出していた。
橋のたもとには由来が書かれた石碑が置かれていた。
明りをあててみる。
書かれているのはこんなこと。
むかし、橋の南西にそば屋があって子どもを背負い手拭をかぶったおかみさんにそばを売ると、そのお金が、翌朝は木の葉になったといいます。麻布七ふしぎの一つで、狸そばと呼んだのが、地名から橋の名になりました。ほかに、江戸城中で討たれた狸の塚があったからともいっています。
狸も食べたくなるなんて、どんな佇まいでどんな味のそば屋だったのだろうか。自分もそこで食べてみたかったものだ。
いくつかの橋を横目に歩いて、住宅地を抜け2km弱の程よい散歩で白金高輪駅に到着。
広尾湯さん。湯上がりに話させていただいたご主人がおっしゃっていた、ウチは「お風呂屋さん」という言葉がぴったりだったな。
最後までお読みいただきありが湯ございました🙇♂️
※1010、広尾湯さんの紹介ページはこちら。